About Futabakai

双葉会について

地域と歩んで50年。
まだまだ50年。

医療法人社団 双葉会の歴史は、1970年の開業から。
以来、最新の治療方式や設備の導入といった技術革新に取り組んできました。
進化したからといってお高くとまらず、敷居の低いアットホームさはそのまま。
いつも身近な「地域の⻭医者さん」であり続けてきました。
現在の理事⻑は、創業2代目。将来の3代目、4代目を見つけ育てながら、
次の50年も地域に貢献していきます。
双葉会の今と未来にご期待ください。

双葉会の歩み

  • 1970

    日本中が大阪万博開催に沸き立つなか、東京は府中の協和診療所内に、栁澤正三が歯科部門を立ち上げる。

  • 1979

    協和診療所内での営業10年を機に、同じく神奈川はたまプラーザにて、独立経営のユリノキ歯科を立ち上げる。この年から、院長自ら2医院を往復して地域の人々を診る診療スタイルが現在まで続くことになる。

  • 1984

    歯科需要の高まりを受け、協和診療所から独立して開業。協和の名前をそのまま借り受け、協和歯科が現在の場所に誕生する。

  • 1993

    協和歯科とユリノキ歯科が合わせて医療法人社団化。双葉会がついに設立される。両医院の院長だった柳澤正三が理事長となる。

  • 2020

    両医院にて歯科医師として経験を積んでいた正三の三男、正人が新理事長に就任。両院の院長としての職務も父から引き継ぐ。地域密着、予約不要の姿勢は変わらず。

協和歯科の
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思い出を語る

理事長の母

栁澤 早苗

ハッスル母さんなんて
呼ばれちゃって。

夫が協和診療所内で開業すると、患者さんがあまり多くなったものだから、独立することになったんです。私は医療事務の資格を取るために、3年間、土日は学校通い。平日は医院の手伝い。でも、忙しい、大変とは思わなかったんですよ。3人の子どもを育てるためだと思って一生懸命。あの頃は本当によく働きました。夫は、とにかく速い歯医者。患者さんの状況が、ちょっと見て、すぐわかる。それでチャチャっと治しちゃう。でも、速いと不安に感じる人も多いでしょう? 私がいつも待合室で患者さんとおしゃべりしていたのが、今も残っている双葉会のサービス精神なのかもしれません。

理事長・歯科医師

栁澤 正人

医道は父から学んだ。
人道は母から学んだ。

子どもの頃から働き者の両親の姿を見て、医者のあるべき姿勢を見習ったような気がします。土日に別荘地へ出かけても、僕ら子どもは外で遊んでいるのに、二人は部屋で請求書やカルテを書いていたのをよく覚えています。府中市歯科医師会で会長にもなった父は、地域の医院としては最新の機材や技術を取り入れるのも早く、今でもそれが双葉会の資産になっています。一方、母はおしゃべりで患者さんと打ち解けるのがうまく、地元の作家の方は、うちをモデルにした医院を小説に登場させた方もいます。私は両親のいいとこ取りと言いますか、丁寧な診察やコミュニケーションと、最新の歯科技術を併せ持った医療を目指しています。